Épisode 2  Le loup-garou


 私は自分の部屋のベッドの縁に腰掛けて、彼の訪いを待っていた。
 彼は今階下で私の恋人と話している。言葉は聞き取れない。二人が交わす低い声が、遠い雷の轟きのように私の耳に届いてくる。
 やがて。
 彼が階段をゆっくりと上って来る足音が聞こえてくる。一段一段。静まり返った館に、それはやけに大きくはっきりと響く。
 私は本当は彼は、猫のように物音一つさせずに密やかに忍び寄ることさえ出来るのを知っている。けれども彼はそうしない。私に、自分の存在を知らしめるために。
 そして。
 彼は私の部屋の扉のノブを回す。鍵は掛かっていない。
 彼は戸口に立ち、私にあの魅惑的な微笑を向けた。夏がはじまったばかりの頃、最初に彼と出会った時と寸分も変わらぬあの笑みを。

「やあ。……待たせたね?」
「……待っていました。あなたが来るのを。ずっと。」
 私はそれだけをやっと喉から搾り出した。膝の上で握り締めた手が軽い痺れを伝えてくる。酷い浮遊感と目眩。奇妙に視界が歪む。
 私はそれでも、彼の眼を見据えて話を続けようと努めた。
「あなたがそうなのですね? あなたの手が触れたものは皆変わってしまう。あなたがはじまりだったのですね?」
 私は、ひと夏の間熱病のようにこの小さなコミュニティを侵した恐ろしい事件の数々を、改めて思いかえす。
 何人もの人が死に、あるいは何処かへ消え、そうでないものは破滅していった。残された者たちも決して元へは戻れない。何かが狂ってしまった。
 何かが壊れてしまった。

「初めてあなたの眸を見た時に、私はもう気付いていたのに。あなたが普通の人間でないと。それなのに、あなたのせいなどとは考えてもみなかった。
 いえ。分かっていたけれど、知りたくなかったのでしょう。
 皆もそうだったのですか?」
 私の熱に浮かされたような囁きに、彼は面白そうに少し眉を上げただけだった。
「少し考えれば皆分かったでしょうに。あなたが、異邦人のあなたが訪れてから全てがおかしくなったのだと。
 それとも誰も認めたくなかったのかも知れない。」

 人狼など。

 理由も何もない、理解することさえ出来ない何ものかが、自分達の世界そのものを変えていってしまうことなど。
 意味もなく、変わって往った愛しい人達をこの眼で直視することなど。

 彼の手が私の髪に触れる。優しく労わるように滑り降り、私の頬へと。私はその感触を確かめるように瞳を閉じる。
「──お前は知っていたのだな?全てを。」
 彼の声音はもう全ての偽装を捨てている。静謐な、恐ろしく静謐な獣の声。
 閉じた瞼の間から涙が溢れ出てくる。私は頷くことしか出来なかった。私が見て感じて、気付いてしまったことを、誰にも信じさせることが出来なかったのだから。

 温かい彼の手が離れる。ベッドの軋む音と沈み方から私の側に彼が座ったのが分かった。私はそっと目を開けた。
 彼が私を見ている。見つめている。
 金いろに光る獣の眸に、目を見開いた私が映っている。
 私は彼を見つめる。見つめ続ける。
 獣の眸に幻惑されたまま、麻痺したように。
「……あなたは。私も、変えるのですか?」
「お前がそれを望むなら。」
 彼はそう答えると、私を抱き締め、ベッドの上に横たえた。
 私は。
 彼の首に腕を巻きつけ、口接けた。